
水に溶けて玉虫色から紅色が生まれる。この伊勢半の紅を象徴する1枚には「小町紅 桜」が使われています。江戸期から昭和初期の紅猪口には、丸みのある形や低い高台、外側にばかり絵付されているといった特徴ある形式がしばしばみられます。このかつての紅猪口らしい形状を再現したいという伊勢半の想いを叶えてくださったのが、伊万里鍋島焼の畑萬陶苑(はたまんとうえん)です。四代目・畑石眞嗣さんに、畑萬陶苑のモノづくりや、伊勢半の紅器制作の裏側についてお話をうかがいました。
伝統工芸を柱としながら、オンリーワンを挑戦的に作り上げていく
佐賀県の山に囲まれた西端エリアにある伊万里市大川内町は、今もレンガ造りの煙突が立ち並び、窯元が軒を連ねています。1926年に「萬祥窯」の名で創設された畑萬陶苑は、以来約100年にわたって、この地を拠点に作陶を続けています。

白い素地の美しさを活かし、華美になり過ぎない絶妙な配色と色量のバランスを持った畑萬陶苑の作品の数々。初代によって生み出された「山水絵」は、畑萬陶苑の名を一躍有名にしました。

日本画のように抽象化された花鳥や景色が描かれる山水絵は、二代目によって、より広く知られるようになりました。本焼成前の素焼き生地の段階で、呉須染付と呼ばれるコバルトブルーの下絵付けが施され、本焼成後の白い生地に、赤、黄、緑の上絵付けが絶妙な色彩バランスで重ねられます。長きに渡って技術を守り伝統を継ぐ、伊万里鍋島焼とはどのようなものなのか。畑石さんに教えていただきました。
まさに御用窯として職人が切磋琢磨し、高められた技術の粋が注がれた趣味の極み「道楽」と言えるのが伊万里鍋島焼です。
しかし、伝統の製法に漫然とせず、時代のニーズを見据えて、これまでにないものづくりに挑んできたと言います。その象徴ともいえるのが、四代目が手ずから開発に携わった雛飾りや香水瓶です。畑萬陶苑の雛飾りは、源氏物語を思わせる風雅な座雛や立雛など、今では手ごろな豆雛から百万円を超える高価なものまで様々に展開しています。
その頃から、今も変わらず自ら担っているのは「目」です。磁器の人形の表面は、釉薬でつるっとしていますので、筆が滑って描きにくい。でも、表情が現れる「目」をきっちり描いてはじめて品格が出る。センスと力量が問われるポイントです。

そして、畑石さんの探求心を存分に詰め込み商品化に至ったのは香水瓶です。きっかけは、ある調香師の方から「伊万里の焼物で香水瓶を作りたい」と持ち掛けられたこと。「面白い」と感じ引き受けたのだそうです。通常であれば、本体の瓶は磁器で製造しても、接合部分やパーツには金属・プラスチックといった別の素材を組み合わせて用います。しかしながら、畑萬陶苑の香水瓶は、構成品すべて焼物という驚きの仕様です。まさに、伝統工芸士として研鑽を積んだ畑石さんの緻密かつ繊細な手技と想像力を礎にした賜物と言えます。

畑石さんは「甘んじることなく挑み続ける先に、畑萬陶苑だからこそ生み出せるオンリーワンが作り上げられていく、伊万里に新たなものづくりの風を吹き込むことによって、町全体が活気付けられる」と語られます。伊万里で仕事をはじめた頃にも、畑石さんは、誰も作っていなかったランプシェードを発案して形にしたそうで、その当時と変わらない熱量のある開拓心で、今もなお地域の制作活動を牽引していると感じます。現在、畑萬陶苑では、ノベルティ商品やアクセサリーなどのコラボ商品の開発にも積極的に取り組まれています。
小さな紅猪口ならではの難しさがあります
続いて、伊勢半とのコラボレーションである「小町紅 桜」の紅猪口製作についてお話をうかがいました。
まず江戸期から昭和初期の紅猪口の特徴として、丸みのある形や低い高台があげられます。しかしながら、この紅猪口の形式は、現在流通している有り型には見ることができません。今に残らない形をイチから再現して商品化されたのが、2019年発売の「小町紅 桜」です。見るほどに洗練されたフォルムの器製作の裏側に、どのようなご苦労があるのでしょうか。

「小町紅 桜」の紅猪口の制作工程は、次の通りです。
紅猪口の製作工程
①ろくろ成形、乾燥する
紅猪口の形をつくる。半乾きの段階で、低い高台の形になるよう、高台の内側を一つひとつ削る。その後、よく乾燥させる。
②素焼をする
素地を980度で焼成する。焼成時に磁器は収縮するが、厚手のものが歪みにくいのに対し、桜のような薄手の器は、焼き締まる時に生地が変形したり割れたりしやすい。これを避けるために、予め器と収縮率が同じ生地の「ハマ」と呼ばれる下敷きに載せて焼く。(生地がハマに付いてしまうこともあるため、アルミナ粉をまぶして載せる)
ハマは一度しか使えず、小さい桜の猪口でも、500個焼くためには、500個の捨てハマが必要になる。
③下絵付けを行う
青い流水部分に色付け「濃み(だみ)」を行う。ふわっとしたグラデーションになるように、動きやすく柔らかい濃み絵具を選んで使っている。1度塗りでは線がそのまま出てしまい固い印象となるため、太い濃み用の筆で、水の具合などを調整しながら2度ろくろで回し付けている。

④釉をかけて、白磁の胎を焼成する
釉薬を器にかける。高台が高い器であれば持ちやすいが、紅猪口は低い形状のため、器を右手から左手にわたすようにしながら、素早く盥(たらい)の釉に浸ける。指のかかっていた痕は、きれいに補修をして全体に均一に釉がかかるように仕上げる。釉が薄いと、焼成後に呉須の発色が黒めに出るため、かかり具合も重要となる。その後、1300度で白磁の胎を焼く。
⑤上絵付け(転写)をして再度焼成
器に桜の絵柄の転写シールを貼り付ける。これを貼るのも技術が必要。形状が丸く湾曲しているため、曲面に合わせて貼らなければならない。寒くて乾燥していると伸びにくく貼り難い。シールの糊もパリパリと割れてしまいがちなため、冬場の作業では工夫して、器も、転写シールも共に温く緩めながら作業を行う。その後、再度焼成し定着させる。
⑥検品、梱包、出荷
検品後、1つの器ごとに紙を挟み、輸送時に割れないよう梱包して出荷する。
伊勢半に紅猪口が届くときには、器に傷がつかないように、丁寧な梱包がされています。それには紅ならではの理由があります。通常、食器等は重ねて収納します。一見して綺麗な白磁に傷があるようには見えません。しかし、重ねた時にできる気がつかない程小さな1ミリ程のスジでも、お猪口に紅を刷くと浮き上がって見えてしまいます。そのため、紅が美しく見えることを最優先に、神経を休めることなく出荷の際まで気配りをいただいています。

伊勢半の検品基準が厳しいことは非常に心苦しいのですが、それでも究極のクオリティで製造いただけることに感謝の念が尽きません。工程を詳しく聞けば聞く程、紅猪口の一つひとつにいかに手をかけて製造いただいているかが伝わってきます。妥協のない粘り強い職人魂があってこそ、魅力ある商品をお客様のもとに送り出していけるのだと感じます。
(紅ミュージアムの縁人:畑萬陶苑2に続く)
【Information】
■展覧会
令和8年(2026)7月1日~7日(1週間) 京王プラザにて畑萬陶苑100周年の集大成となる作品展を開催予定
■ショップ
畑萬陶苑 ギャラリーショップ
〒848-0025 佐賀県伊万里市大川内町乙1820
営業時間: 9:00-17:00/定休日: 元日を除き年中無休
畑萬陶苑の製造工場及びショールームを備えた直営店。
製作工房の見学コースもある。絵付け室では、和紙に桐の木炭で描いた絵を、器へ擦って写し取る下絵の前の段階から、濃み(だみ)、絵付けの作業が見られる。
また、赤絵付けの部屋では、細い筆で針の先で描くような繊細な絵付けの作業を行なっている。
工房を公開している窯元は限られるため、近年、海外からのお客様も増えるなかで、英語による見学コースは人気となっている。
